―― 麻倉さんは男性として叶さんと出会い、2002年に男性歌手「KEITA」としてデビュー。初めてのカミングアウトは叶さんだったとのこと。お二人の仲やカミングアウトの時のお話を聞かせてください。
叶との出会いは高校の卒業式の翌日。高校の同級生のお母さんが叶の生徒で、紹介してもらったんです。
―― 歌手としてもご活躍されている麻倉さんですが、当時は譜面も読めなかったとか。
麻倉は、高校卒業後はほぼ毎日朝から晩までスタジオにいて、稽古をしたり、お茶出しや掃除までしていました。本当に熱心な子で。デビューできるよう、レコード会社と話もできるよう、有限会社もつくりました。
▲ 矢沢永吉さん好きのプロデューサーに、男性らしい喋り方、ドアのノックの仕方を指導されたことも
さまざまな苦労をされて、2003年、第6回上海アジア音楽祭に出演。日本からは、誰でも知っているような著名アーティストが出場するような大舞台で、優秀新人賞を受賞されました。
そんな子と上海のステージに行けて、だんだんと認められてきて嬉しかったんです。帰国後にテレビ出演の依頼もあり、これまでの努力の結果が出てきていた。それなのに、麻倉の反応がおかしくて…。
男性歌手としてのファンが増えれば増えるほど、複雑な気持ちになってきた。このまま認められてしまうことが怖かったんです。
――「遠回しなら、本当の自分も表現できるだろう」と作詞した歌を2007年、24時間テレビで歌われた麻倉さん。その反響は大きく、麻倉さんの元には1,000人に及ぶ方からファンレターが届いたとか。
でも、自分が周りに『元気出していこう!』と歌い、ファンレターも貰っているのに、自分自身が堂々と出来ていない。ステージから降りると、スタッフすら怖いという時期もありました。自分のことが嫌いで、『どうしてこんなふうに生まれてきたんだろう』『自分なんて…』という気持ちが強かったし、自傷行為をすることもあった。
その自傷行為が結構酷かったんです。血だらけで、揺すってもぼーっとしている。ビンタをするとハッと我に返って謝られる…その繰り返しで。でも、その原因がわからなかった。
いい仕事を貰っても、ディレクターの言うとおりに出来ない。男性同士の温泉を撮影するシーンでも、胸から下を隠している。でもオネエキャラでもないから、それでGOも出せない。結果として、テレビでは使いづらいと言われてしまう状況でした。
思い詰め過ぎたのが逆に良かったのか、見た目、体格、宗教、人種、性別の違いは関係なく、皆同じ人間だと思えるようになりました。でも、周りに同じような人がいなくて、解決法がわからなくて、ずっと一人で悩んでいた。気持ちが前向きになったところで、解決法がわからなければしょうがない。…となったところで、カミングアウトしようって思ったんです。最初は、1番近い存在の叶に。
―― でも、この決意から実際にカミングアウトするまでに2年かかったそうですね。
1番近い存在だからこそ、なかなかできなかった。上司であり、マネージャーであり、親よりも近い存在。『受け入れられなかったらどうしよう』という不安が大きかった。
私としては『なんでもっと早く言わなかったの?』という気持ちです。麻倉が恋愛対象として女の子には興味がないように見えたのもあって、他の子とはちょっと違うなというのは感じていました。住まいも、私と娘と麻倉の3人で住んでいたので『安心できる場から追い出されたら…』という不安もあったのかもしれませんね。
―― 家族のような関係としても、ビジネスパートナーとしても、大切な唯一の存在だからこそ、なかなか打ち明けられず、互いに辛い思いをされていたんですね。